ABOUT

木の天守が、
まちの未来をつくる。
-天守閣木造化から始まる持続可能なまちづくり

「みんなでお城をつくる会」は、小田原城天守閣の木造再建を通じて、地域の未来を共に築くことを目指した認定NPO法人です。かつてまちの象徴だった木の天守を、市民の手でよみがえらせること。それは、単なる復元ではなく、伝統技術の継承、地域の森林資源の活用、そして誰もが関われる新しいまちづくりの始まりです。

この挑戦には、持続可能な社会へのヒントが詰まっています。地元の木を使い、職人が技を伝え、市民が夢を形にする。そんなプロセスそのものが、豊かな地域の未来を育てる力になると信じています。

木造天守を「再建すること」以上に、「どうつくるか」を大切に。私たちは一歩ずつ、まちと人と文化が循環する、持続可能なまちづくりを進めています。

木の天守が、
まちの未来をつくる

天守閣木造化から始まる
持続可能なまちづくり

「みんなでお城をつくる会」は、小田原城天守閣の木造再建を通じて、地域の未来を共に築くことを目指した認定NPO法人です。かつてまちの象徴だった木の天守を、市民の手でよみがえらせること。それは、単なる復元ではなく、伝統技術の継承、地域の森林資源の活用、そして誰もが関われる新しいまちづくりの始まりです。

この挑戦には、持続可能な社会へのヒントが詰まっています。地元の木を使い、職人が技を伝え、市民が夢を形にする。そんなプロセスそのものが、豊かな地域の未来を育てる力になると信じています。

木造天守を「再建すること」以上に、「どうつくるか」を大切に。私たちは一歩ずつ、まちと人と文化が循環する、持続可能なまちづくりを進めています。

小田原天守木造の復元のおもい

1

文化・歴史を再認識して、未来へ活かす

【文化歴史の再認識】

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戦災の復興の時代、各地にコンクリートの城が現れました。戦禍の街に堅固な天守閣が築かれていく姿に、その街に暮らす人々がどれほどの励みと希望を与えられたことが想像できます。新しいシンボルとして「復興の天守」は見事にその役割を果たしました。
しかし戦後70年余を経た今、コンクリートに覆われた街は、自然を統制する「文化」の象徴ともなりました。この文化に明るい未来を感じることはできません。むしろ進むべき方向を変えたいと感じ始めています。

この程ユネスコ無形文化遺産に「伝統建築工匠の技」が登録されました。日本文化に通底する信仰にも似た自然観は、まだ匠の技に息づいていることが見出されたからでしょう。日本のたくみたちは自然と共に生きる暮らしの中で、木材の性質を見抜く目を養ってきました。木々の性質をも向き、竣工後の日のあたり具合まで見越した適材を、適所に使いこなす技。この技術があればこそ世界に類を見ない木造建築物を遺し維持することができたのだと思います。

「木を見て森を想う」この思いの適う街に暮らし、子供を育てたい。その新しい時代のシンボルとして木で造られた小田原城が欲しい。秒針が刻む時間ではなく、木が歳月を刻む時間軸を街に取り戻したいからです。私たちが寄せる郷土への愛着も、こうした時間の中でこそ静かに育まれる文化だと信じています。

2

木材利用による山の自然環境保全

【自然環境保全】

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日本は150年前まで、生活資材やエネルギーのほぼ全てを、里地里山から生み出していました。現代はそれらの多くがグローバル工業製品や化石燃料に置き換えられていますが、人が生きる基盤は大地でありこの国を包む大気であることは不変です。その大地に根を張り大気循環を担う樹木を持続的に保全するためには、適切な管理と施業の継続が欠かせません。

小田原西部に広がる森林には「天守の森」と呼ばれる小田原藩有林を今に引き継ぐ由緒ある森が残されています。300年前から藩により植樹が開始され人々の生活を支えてきました。現在も一部に樹齢300年の巨木林が残され、偉容を誇っています。こうして大切に育てられた樹木ですが、持続する美しい森を保つには、計画的に伐採・植樹・間伐を繰り返す必要があります。大径木も力あるうちに伐理、その勝ちに相応しい用途に活用することが、文化を創り、そして新たな植林を行うことで未来へ豊かな自然環境をつなげるのです。

江戸時代からの歴史を内蔵する地元の大径木を中心に、大量の地元材を活用する小田原天守木造復元は、持続可能な森林育成の実現と、環境保全に大いなる貢献をする極めて有益なプロジェクトなのです。

3

大規模木造建造物を造る大工技術を継承する

【伝統文化の継承】

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日本建築史上、大規模な木造建築というと東大寺大仏殿や長野の善光寺、姫路城天守などが浮かびますが、一言で木造といっても全てが同じ技法ではなく、特に天守や櫓(やぐら)は、大規模でかつ「複数の階を重ねる」という点に他の建築と異なる特徴的な技術が展開しています。大径材を多く利用して組み立てる大工技術は絶滅寸前です。公共建築としての「木造天守」に、技術継承の新たな可能性をみています。

小田原城天守は、3基の模型と戦前に複写された図面が現存しており、我々はそれらを構造的な視点から再検証しています。これまでに各史料から、長さの異なる3種類の通柱(とおしばしら)を駆使し、それらを縦横に繋ぐ梁により各階の床組を造って上部荷重の分散を図りつつ、天守全体を強固にしていたのではないかと推測しています。まだ確証は得られていませんが、18世紀初頭に再建された小田原城天守がこのような構造で実在していたとすれば、天守の技術的な変遷を考える上でもたいへん稀有な事例となります。現代においてでさえ、小田原城天守の木造復元には非常に高度な大工技術が求められるのですが、再建当時にはすでにその技術を持っていたことになります。

日本のように、湿度が高く、地震や台風などの天然災害が多い風土では特に、木造の建築物が、持続型社会に対して有効です。脈々と受け継がれてきた伝統木構造の技術は、世界でも注目され、2020年には「伝統建築工匠の技 木造建造物をふけ継ぐための伝統技術」としてユネスコに無形文化遺産に登録されています。

4

小田原城を象徴とする経済・観光活動の発展

【暮らし経済】

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小田原市観光戦略ビジョン(平成28年3月発行)には2029年に観光客数1,000万人、一人あたり観光消費額4,400円が目標と掲げられています。小田原市の観光客数は500万人前後で推移してきましたが、625万人まで上がってきました。日本の大動脈、東海道に位置する小田原は城下町・宿場町として全国的な知名度があり観光産業への期待は少なくありません。東京からのアクセスは格段に優れ、海山川と自然環境も最高の土地です。

その中でも、小田原城は市の観光戦略の大黒柱です。まずは小田原城に来ていただき、次に市内の他の観光施設への流れを作ることで、良い経済循環が生まれます。小田原城天守木造復元は小田原を日本トップクラスの城下町に押し上げ世界中の人々を魅了します。建設準備段階から建設中、完成後まで市内のみならず県内に多くの経済波及効果があり、観光都市小田原のエンジンとして長く貢献できる事業です。

小田原城をシンボルとして、小田原を日本古来の自然と共に生きる知恵を継承し、持続的な環境を維持した住みやすいまちとして発信することにより、日本や世界に認知をしてもらい、経済の発展を目指します。

History

これまでの活動の歩み

2009年~
小田原城普請会議の立ち上げ

2009年小田原市内の有志により、小田原城天守木造復元を目的とする小田原城普請会議を立ち上げる。国指定史跡の木造天守を復元するために勉強会を開き様々な課題を検討。

2012年
NPO法人として活動開始
2015年
小田原市より感謝状

小田原城天守耐震改修に際し、最上階の摩利支天を安置する木造空間に柱や建材を寄贈(市より感謝状)FS(Feasibility Study:実行可能性調査研究)会議を立ち上げる。

2016年
認定NPO法人として認められる

FS会議(天守木造化可能性検討委員会)に注力し、定期的に(5回)開催。認定NPO法人として認められる。

2018年
小田原城天守調査研究プロジェクトを立ち上げ

小田原城天守調査研究プロジェクトにあたり、専従の研究者、調査研究に関連した顧問・アドバイザーを招聘。創立記念事業として海老崎粂次氏(錦帯橋「平成の架け替え」の棟梁)による講演会と、歴史的建造物に経験・造詣の深い指揮者を交えたパネルディスカッションを行った。

2020年
小田原城天守調査研究プロジェクト

「小田原城三重天守印図」の実測調査と図面化。「東大模型」「大久保神社模型」の実測調査。

2022年
小田原城天守等復元的整備検討会議始まる

当会NPOと小田原市との間で、天守等の復元的整備に向けた様々な課題解決の道筋を協議する公式な会議体がスタート。これまでの議事録は、市のHPに公開されている。https://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/municipality/disclosure/singikaitounokoukai/council/culture/tensyukakutouhukugen.html

2025年
小田原城天守調査研究プロジェクト

「東博模型」の実測調査を完了、これにより3基模型の徹底比較研究が進む。