お城通信第22号 | 天守模型の調査研究が進んでいます
【お城通信vol.22】天守模型の調査研究が進んでいます
大久保神社模型に引き続き、東大模型の調査を、10月18~20日と22日の4日間行いました。東大模型は、大久保神社模型と共に県の文化財に指定されており、現存する小田原城天守の模型3基のうちの1基です。全国でも3基の天守模型が現存するのは小田原城だけです。今回は市の担当部署のご協力のもと、ガラスケースから取り出し、安全対策を十分にとった上で詳細な調査を行いました。今回の調査結果の概略を報告いたします。
東大模型の実測を含めた調査

現在の復興天守が復元設計された際のモデルとなった模型のひとつ、最上階に展示してある東大模型の実測を含めた調査を行いました。天守1階に展示してある大久保神社模型は3月に調査を終えています。 上の写真は天守最上階でほぼ東の方角を見て写しています。写真の模型は手前側が西面となり、右側の南面ともに外壁をあらわした板が張られており、窓の位置、建具の入り方などがわかります。“見せるための模型”とは言われて来ましたが、今回の調査でわかったことは、見せるためだけでなく、かなり高度に計画された、設計と施工の両面を検討するためと思われる緻密な表現が各所に見受けられました。例えば下の写真は、柱や梁などの表現は勿論、屋根面や入母屋屋根の妻壁面穴が開いています。これらの穴も当初から計画されています。

つまり、目的が“見せるための模型”を造ることなら、意匠的な屋根や外壁を「どのように見せるか」という外観製作に絞って見せることでも十分だったはずです。しかし、この模型はそうではなく屋根内部、建物内部の構造も丁寧に造り込んでいます。調査していても、「ここまで凄いとは!」とうなってしまう箇所が随所にありました。上の写真は最上階の造り込みを確認しています。大久保神社模型との違いは何か?あの部材は何か?階段はどこにあったのか?などなど、間近で確認して、記録を取りました。さらには、摩利支天像を祀る空間の存在、上段の間や長押の廻り方、将軍柱の存在、柱間と柱の数など、大久保神社模型との違いを改めて確認しました。

東大模型の造り込みが、素人の手でなく大工棟梁のレベルで細部まで丁寧に作られており、構造・意匠を考慮し、さらには建て方をも考えた模型という評価をしてもよさそうです。すべての部位に手を抜くことなく、同様な精度で造り込まれていることから、修理のための模型でなく、新たに普請するための模型と捉えてもよいと考えます。今建っている復興天守も細部のディティールは東大模型を使っていることからも、建築的に完成されたディティールを持ち合わせていたため取り入れたということも理解できました。改めて確認できたことは、鯱と鬼板(鬼瓦)はのちの補修であるということです。この部分の質は、ほかと異なっています。
また、柱の番付が確認でき、軸組の構成が明らかになりました。模型は県指定でなく、国の重要文化財レベルと考えてよいでしょう。 東大模型の制作年代は諸説ありますが、制作目的とともに解明できること、ほかの2基との違いを洗い出すことが今後のテーマとなります。

模型の屋根面と妻壁に四角い穴が開けて作られています。その部分から小屋組の構成が確認できました。小屋束は、柱割とは無関係に梁間で8ツ割に配置されており、柱間より狭く束が立っています。束には小屋貫が平と妻方向に入っています。野垂木は板で作られていました。化粧垂木は一本ずつ作られており、その中に力垂木が一間ごとに入っており、軒先を支えるための桔木(はねぎ)はありませんでした。この様式を持つ類例と時代性も今後のテーマとなります。意匠で特徴的なものは、入側通りの柱上に舟肘木(ふなひじき)が取り付けられていることから、武者走り(入側)には天井が張られず、垂木があらわしになった化粧垂木が見える天井であったことがわかります。
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