お城通信第29号 | 2本の論文が学会で査読されました
【お城通信vol.29】2本の論文が学会で査読されました
「東大模型」の調査研究と「引図(模写図)」の調査研究に基づく2本の論文が日本建築学会の査読を通り、昨年の2月から4月にかけてその学術誌に掲載されたことは既にお知らせしました。
当会調査研究員による2本の論文
当会調査研究員による2本の論文『小田原城天守「東大模型」の構造技法について』『小田原城天守の建地割図にみる制作目的と構造技法について』が査読され建築学会で認められたことは、この数年間の地道な努力と皆さんの支えがあったからこそと深く感謝いたします。
この論文の読みどころに触れる前に、天守復元に関して文化庁の復元等に関するこれまで見解をおさらいしたいと思います。平成3年(1991)に設けられた、天守等の復元に対する許認可の基準は史実に忠実な復元を求めています。その資料となるものが絵図面や写真でした。しかし令和2年に国史跡などで歴史的建造物を復元する際、本来の意匠などを示す資料が見つからなかった場合を「復元的整備」と定義し史実に忠実な従来の「復元」と区別しました。
「文化庁、史跡等における暦史的建造物の復元等に関する基準」では往時の歴史的建造物の規模、材料、内部・外部の意匠・構造等の一部について、学術的な調査を尽くしても史資料が十分に揃わない場合に、それらを多角的に検証して再現することで、史跡等全体の保存及び活用を推進する行為…」とあります。つまり不明確な部分を明示し、来訪客にも分かるような形にするなら再建可能としました。小田原城のように十分な資料がありながら写真がないだけに復元は難しいと多くの方があきらめていましたけれども、当会は天守閣の(ここでは行政の呼び方を採用、当会は天守と記載する)耐震改修工事を切っ掛けに天守木造復元を成し遂げたいと活動してきました。
そしてこの法案が通ったことで天守の木造復元が復元的整備という考え方によって実現の可能性がぐっと引き寄せられた次第です。しかし、資料はあるものの木造復元に向けた資料整備が不十分であったことも分かり、何度も行政の手を煩わせながらも地道に研究調査に当たってきました。結果として、今回の査読論文(査読を通過した信頼性の高い論文のこと)に繋がったことは高橋、宮本調査研究室の賜物です。もちろんまだまだ調査研究は続きます。本号では、まずこの論文の見どころの大事なところをダイジェストしたいと思います。
東大模型;長大な通柱と「互入式通柱構法」との併用が最大の特徴

まず東大模型の論文の「はじめ」のところに注目。これまで小田原城天守に関する論文はありますが、今回の調査で「天守閣の構造技法を考える上で有用である新しい知見を得られたため…」とあります。平たく言えば新しい発見があったということです。論文ではまず番付という柱位置などを示す記号に廻り番付使われていることに着目し、そこから小田原城天守の「軸組架構の特徴を知る大きな様相であることがわかった。」と記されています。これは実物と論文を照らし合わせてじっくり聞かないと一般の人には分かりにくいことですが少し木造建築に携わったことがある人ならワクワクすることです。簡単に言えば1階から3階までの通し柱が中央部分の空間に9本あって、その他に1階から2階、2階から3階までの通し柱が相互に配置されているということが「廻り番付」から分かったというものです。そう言われてもピンとこない人がほとんどでしょうから論文と模型を見ながら解説者付きで説明を聞くのが良いでしょう。
それはさておき、このような技法(「互入式通柱構法」とも呼ばれる)は現存天守では松江城にもみられるようですが、論文では、東大模型には通柱の使用法にこれまでに知られていなかった新しい技法が見られると述べています。この模型がいつ出来たものか確認することはできませんでしたが、再建または新築用に制作されたものではないかと、かなりの確信をもって書かれています。
引図;設計図ではなく実測図である
次に『小田原天守の建地割図にみる制作目的と構造技法について』は、ここでも「構造技法にこれまでほとんど注目されてこなかったことが描かれている」と、やはり構造についての論考が綴っています。ここは素人には分かりにくく解説するには木構造の特徴をよく知る必要がありここで解説することは諦めます。気になるのはこの建地割図の目的は何かということですが、「まとめ」ではこれは設計図ではなく実測図であると結論付けているところです。論考の始めのほうにも、「藤岡氏は「詳細図」の制作目的を再建のための設計図としている…」と述べていますが、「まとめ」でははっきりと実測図だと言い切っています。惜しむらくは制作年代を明確に出来ないことですが、以上のような新しい知見に言及しているところが特筆すべきことだと思います。

番付という柱位置などを示す符号に「廻り番付」が使われていることに着目し、そこから小田原城天守の軸組架構の特徴を知る大きな要素であることがわかりました。1階から3階までの通し柱が中央部分の空間に9本あって、その他に1階から2階、2階から3階までの通し柱が相互に配置されているということが「廻り番付」から分かったというものです。

柱脚に木材を運ぶ際に開けたと思われる筏穴(いかだあな)が描かれています。 運搬に伴って開けた穴なので設計図に描く必要はないので、この図が設計図ではなく実測図であると思われる所以のひとつです。
母屋の木口の形がすべて異なることは、設計段階で想定されるものではなく、施工段階で生じたはずであり、設計図にはじめから描かれるはずがないので、設計図ではなく実測図であることを想定させます。