お城通信第33号 | 大森氏の話
【お城通信vol.33】大森氏の話
現在、小田原城郭の変遷を俯厳できるパンフレットを編集しております。大森氏の時代から近代まで小田原城の姿を知ることができるパンフレットですが、各コラムに解説を十分に載せることが難しいので、HPに詳細を載せることにいたします。お城通信でも連載しますので、どうぞお楽しみに。
第1話大森氏の話
1)大森氏とはどのような豪族だったか
大森氏は、はじめ現在の静岡県裾野市周辺を本拠とした豪族である。伝承によれば、駿河国(静岡県中部)と甲斐国(山梨県)の国主を兼ねていたとされるが、確証は乏しい。出自については、京都から移住した藤原氏の一族とされるものの、これも資料が少なく詳細は不明である。
いずれにしても、大森氏は富士の裾野周辺で勢力を蓄え、次第に北上。やがて現在の御殿場市周辺まで進出し、さらに駿河小山(静岡県小山町)を経て北足柄(神奈川県足柄上郡)へと勢力を拡大していった。彼らの勢力圏は、水田耕作に適した山間の細長い地域が中心であり、稲田の開発が容易で水源の確保しやすい土地に集落を築いていたと考えられる。
その頃小田原周辺は、開発が進んでおらず、大規模な集落もほとんど存在しなかった。地名としての「小田原」も鎌倉時代の文献にはじめて登場する程度であり、当時は未開の地と考えられている。周辺には
土屋氏、中村氏、土肥氏、小早川氏といった小豪族が山間部に点在していたが、足柄平野は氾濫を繰り返す酒匂川によって開発が遅れていた。
2)小田原に進出した経緯

大森氏が最初に西相模に進出した時に築いたと言われる岩原城(南足柄市指定文化財)
大森氏が小田原に進出した背景には、室町時代の政争が大きく関わっている。とりわけ「上杉禅秀の乱」(1416 年)は、大森氏にとって大きな飛躍の機会となった。この乱は、鎌倉公方足利持氏に対して、関東管領の上杉禅秀(上杉氏憲)が反乱を起こしたものである。大森氏は幕府側(持氏側)に味方し、これにより戦後の論功行賞を受け、勢力を拡大。最終的に小田原へと進出する契機となった。このように、大森氏は地理的に戦略的な拠点を抑えつつ、室町幕府との関係を背景に成長していった。
これに対して土屋氏、中村氏、土肥氏、小早川氏といった小豪族は上杉禅秀側について敗北したため、その勢力は交替し、大森氏はこれらの拠点を押さえながら、徐々に小田原の中心地へと勢力を伸ばして
いったと考えられる。
3)小田原にどのように居城を設けたか
大森氏が小田原に進出した際、最初に築いた拠点は現在の南足柄市内山地区にあった「春日山城(かすがやまじょう)」がそれとされる。その後、さらに小田原方面へ進出し、岩原に「岩原城」、相模沼田に「沼田城」などを築き、次第に拠点を南下させていった。
小田原での大森氏の居館の位置については、まだ確定されていない。しかし、地名や伝承を手がかりに推測されるのが、現在の「城源寺(じょうげんじ)」周辺である。この地域には「城下(しろした)」という地名が残り、また「城源寺」という寺の名にも「城」の字が含まれている。さらに、地形的にも防御に適した湾入地形があり、ここに最初の居館が築かれた可能性は否定できない。

また、別の伝承では、大森氏は小峰(こみね)に住んだともいわれる。小峰は「かみね」に通じ、「かみね」は「華岳(かがく)」とも書くことができることから、「華岳山城源寺」や近くの「華岳山福泉寺」との関連も指摘されている。このように、大森氏初期の居館については明確な証拠がないものの、伝承や地名を総合すると、城源寺周辺や小峰地区が有力候補となる。
その後、大森氏は現在の小田原城の原型となる山城を築いたと考えられている。この城は、後に北条早雲によって奪われ、戦国時代を通じて発展していった。中世小田原城の起点に相当するものと思われる。小田原城が本格的な石垣を用いた城郭へと発展するのは、ずっと後の近世江戸時代のことであり、現在城址公園となっている本丸・ニの丸周辺は、寛永9 年(1 632) の稲葉正勝の入封以後、大規模に改修され、主要な曲輪に石垣を積むなどして近世城郭への変貌を遂げたのである。以上のように、大森氏は戦乱を契機に小田原へ進出していった。しかし、その後、戦国大名・北条氏によって駆逐され、歴史の表舞台から姿を消していくこととなる。
研究報告 東博模型の調査が進みました
小田原城天守の江戸時代に作られた3基の模型の内、現天守の展示されている大久保神社模型、東大模型の2基について詳細な測量に基づく解析が成され様々に新たな知見が得られています。残る東博模型と言われる国立東京博物館所有で神奈川県立歴史博物館に展示保存されている模型の実測調査が、この2月に2週間かけて行われました。これから得られたデータや情報を解析し先の2模型との比較検証が進むことで、3模型から江戸期の天守の実像がより明確にできると考えております。乞うご期待。