お城通信第35号 | 2代目氏綱、3代目氏康が都市計画の祖
【お城通信vol.35】2代目氏綱、3代目氏康が都市計画の祖


氏綱は、元々の拠点八幡山から降りて、東南側の平地に本格的に居住地を移した。ここから現在の本丸・天守閣のあるエリアが拡張していくわけで、防衛だけでなく、交通・行政・経済の中心地として城を使う城郭を中心とした近代都市づくりの始まりと言えるだろう。(上記画像出典:小田原城天守閣所蔵)
北条氏3代目氏康は、小田原を戦国都市に進化させた実力者
小田原城の本格的拡張と自然要害の活用
氏康の代には、小田原城が本丸・曲輪・城前曲輪へと段階的に拡張され、城郭として完成する。天然の池沼や窪地を堀として利用し、人工の掘削は最小限にとどめた構造が特徴で、自然地形を要塞化することで、防衛力を高めつつコストも抑えるという合理的な都市設計だった。
都市人口の集中と行政機能の強化
家臣は、城の周囲や城下町に屋敷を構え、職務や身分に応じて配置された。特に武士の屋敷は防御を意識した配置となり、商人や職人も城下に集められた。戦時には動員しやすいよう計画的に配置され、城の防御機能を高めた。征服した周辺地域の有力者や代表者も小田原に住まわせ、実質的な人質政策をとった。これにより、小田原に人的資源が集中し、行政・政治の機能を一極集中できたほか、城下町としての経済も発展していった。
小田原用水の整備(インフラ革命)

氏康は、早川上流から取水した水を、小田原の城下町全体に供給する「小田原用水」を敷設。高度な測量技術を使い、山王地区まで水を引いた。水は木製の管(くり抜き木管)で各家の台所まで届くようになっており、飲料・生活用水のインフラが整備された。この水は「溜まり水方式」で常に満たされていたため、衛生的で実用的だった。更には、水道の整備は、住民数の増加や行政機能の集中と密接に関わり、町の規模や配置も水道の分布によって決定された可能性がある。これこそが「戦国期におけるインフラに基づく都市計画」の代表例であり、城郭中心都市としての近代都市構想の先駆けとも言えるのではないだろうか。
和算に基づく測量技術の活用
小田原用水の敷設には、江戸時代にも解明された「和算」による測量技術が活用されていた。具体的には水の高低差を精密に測定し、無動力でも水が流れるように設計された。当時としては非常に高度な技術で、戦国期の「土木インフラ整備能力の高さ」を示している。
建築様式の改革と景観の向上(小田原葺き)

氏康の子・氏規が京都から戻った後、小田原の町並みが「茅葺きでは貧相」だとして、「板葺き」(=小田原葺き)を導入。特に街道沿いの建物に採用された。町の景観が改善され、外部からの訪問者にも威厳と格式を感じさせる演出となった。
氏康の都市政策が後の江戸に影響
小田原用水の技術や都市設計の思想は、後に徳川家康が江戸に応用。江戸の上下水道整備や都市インフラのモデルとなったのではないだろうか。小田原は単なる地方城下町ではなく、近世都市の先駆モデルとして機能したと言える。
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