お城通信第2号 |   江戸時代の小田原城の天守模型は3体現存

【お城通信vol.2】江戸時代の小田原城の天守模型は3体現存

東博模型

昨年度、小田原城天守模型の調査研究の報告書をまとめた故西和夫先生は、長崎の出島の建物や栃木の足利学校の復原に尽力された元文化審議会委員でした。その報告書の中で東大模型、大久保模型、東博模型のうち東博模型が宝永の再建天守に最も忠実な模型であるという論文をまとめられました。しかし残念ながら、昨年12月20日にこの論文の成果報告会で発表された2週間後に突然急逝されてしまいました。謹んで哀悼の意を表します。

現天守の耐震改修工事が平成27年7月より始まる。

摩利支天像

西先生の研究の成果を踏まえ、天守最上階に摩利支天像の祀られていた当時の空間(しつらえ)が木造にて再現されます。私たちはこの木造による復原をきっかけに天守木造化の道への弾みがつくことを願っております。再現に使用される材料には、昨年秋に開催された「第30回全国削ろう会小田原大会」に「みんなでお城をつくる会」が出品した天守の森(辻村農林)の樹齢200年の杉が使われることになっております。地元の木材を使って地元の大工さんによって建てられれば、私たちの願いである天守木造化の一つが実現することになります。

恩師西先生の功績をたたえて

西先生は昭和42年に藤岡通夫先生のもと東工大大学院を修了されています。藤岡先生の当時のことを西先生はこうふり返っておられます。「先生はあまり細かなことは指示されなかったが、いつも研究者として大局を見失わぬように、そして何が大切なのかを自分で探し出すように、とご指導をいただいたと思う。」そして先生は、この小田原城の天守については小田原市から、歴史的な背景について調べる検討委員として、現在の鉄筋コンクリートの天守がどのような根拠で復原設計されたのか、当時どのような理念、哲学で設計されたのかを調べることになりました。

昨年11月9日「小田原城天守模型を探る」(みんなでお城をつくる会主催)講演会では、先生に小田原城天守模型等調査団代表として中間報告をしていただきました。そこで「この現在の鉄筋コンクリートの建物は、昭和35年に完成した建物です。設計者は藤岡通夫先生。実は私の恩師です。私は藤岡通夫研究室の出で、私が先生の設計した建物を、その背景を今調べている。調べれば調べるほど今のあの天守はちょっと駄目だなということがわかってきたんですね。今困っております。」と話されております。

鉄筋コンクリートの建物となった歴史的な大きな背景は、城郭建築が第二次世界大戦後戦災により焼失したものや、明治初年までに消失したものの復元の機運が高まった時期に、山林が乱伐され枯渇し用材がなくなり、鉄筋コンクリートが近代化の象徴として持て囃された時代に合致したといえるでしょう。その時期の藤岡先生による復元天守は、和歌山城、熊本城、会津若松城、小田原城などがあります。

西先生は、難解な建築をわかりやすく説明し、旺盛な好奇心で建築史のおもしろさを追いかける探求心を持ち、それを最期まで成し遂げられる研究者でした。小田原城の現存する天守模型3体から天守の歴史を紐解いて、新たな解釈で天守像を鮮明にされた功績は大きく、私たちはこの事実を多くの方々に広く伝えていかなければならないでしょう。