お城通信第6号 | 榎木孝明 一期一会地球プロジェクトほか
【お城通信vol.6】榎木孝明 一期一会地球プロジェクト
俳優・榎木孝明さんは時代劇や刑事ものなど数々のTVドラマ、映画、舞台で活躍しています。また、20年前から続く映画「地球交響曲ガイヤシンフォニー」のナレーションを第1番から最新作第8番を担当され、自然環境と人間の営みについての考察と造詣に深い方で、私とはその映画を通じておつきあいが生まれました。
古武道、薩摩示現流を学び、時代劇をこよなく愛し、日本人の精神性の探究に日々勤しんでいられますが、大きなプロジェクトを立ち上げられました。それは、小田原のまちづくりにも通じると思い、以下、榎木さんのFacebookから引用してそのプロジェクトをご紹介いたします。
「時代劇再生運動」に学ぶ

4年前に始めた時代劇再生運動を、将来は地球規模に広めたい思いから今後「一期一会地球プロジェクト」としました。京丹波町での時代村構想について、京都府と京丹波町と私の三者の協議を経て、まずはこの春に時代村全体の完成予想図を作る提案をしました。
この活動の三本柱の1番目は日本映画を輸出産業に育て、日本のイメージアップを図るように政府に働きかけることです。そのための映画製作には国主導型になってもらいたいと思っています。
2番目は京都に大時代村をという提案です。 ゆくゆくはディズニーランドやユニバーサルスタジオを凌駕する規模の日本文化村を目指し、ここに住む人々を全国から募り映画の撮れる時代村に育て、世界の人々が訪れる観光地にして、伝統芸能・工芸の聖地も兼ねる施設になればいいと思います。この度の京丹波町の土地は、ほぼ東京ドームと同じ広さですが、今後京都府下の他の市や町にも呼びかけて、時代村衛星都市化を考えたいと思います。
3番目は時代村の中に国立の日本文化の教育施設を設けることです。昔の寺子屋や藩校、私塾の発想です。そこでは茶道や華道の伝統文化はもちろん、武士道や 死生観の精神的教えも重視して、歌舞音曲、武芸武術、馬術等昔の日本人がたしなんでいた世界を網羅します。また伝統芸能・工芸の継承者の育成もします。
ここで学ぶ学生以外に、大河ドラマなど時代劇の出演が決まった役者は、有名無名に関わらず、本番前にその施設での最低数カ月間の修煉学習を義務化したらいいと思います。今の撮影現場では所作や殺陣の先生が指導はしてくださいますが、付け焼き刃的で本物の時代劇を表現するまでのレベルには至っていないのが現状です。時代劇に出演するためには所作、殺陣、乗馬、舞、そしてかつての日本人の精神性を知ることを最低条件とすると、今後の時代劇が世界に出ても恥ずかしくないものになるでしょう。黒澤映画でも世界への影響力は実証済みですが、日本人の持つ本当の精神性は、世界を平和ヘと導く大きなカギになれると思っています。大きな夢は言い続けることが大事かと思います。今後も時々この活動の進捗状況を報告させてもらいますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ブラタモリ「小田原」舞台裏を振り返る

私にブラタモリ出演の依頼があったのは昨年9月の事、私のホームページ「小田原城街歩きガイド」が番組ディレクターの目に止まり、学者でなく一般人である事もバラエティ番組として面白いという。番組制作にあたり「総構」を取り上げる事を私は提案したが、口頭だけの説明ではなかなか受け入れられず、実際現地に訪れ見て頂く事で決った。
やはり、目は口ほどに物を言うものである。取材は番組の性格上、単なる紹介ではなく何かの痕跡を探さなければならない。通常総構1周6時間程度で周るところ、約5日間が休日返上で費やされた。そして、この時点での番組「戦国時代の小田原」であった。
ところが数日後「江戸のルーツは小田原にあり」にテーマが変ってしまった。その理由は日本最古の上水道小田原用水を取り上げるからだという。小田原は海に近く井戸から塩分が出るため上水道を敷設したというのだが、江戸の神田上水も同じ理由で敷設されたという。これまでブラタモリが江戸東京を題材にしてきた経緯から、もってこいのテーマであった。
ところで小田原用水だが、研究が進められる以前にその殆どを開発されてしまい不明な点が多い。番組で唱えられた小田原用水の説を裏付ける証拠が無いのが現状である。江戸時代では飲料水として使われ厳しく管理されていた事が解っているが、明治維新後はその管理体制が崩れ、川下の小田原町の人々は上流から何を流されているか判らない小田原用水よりも安全な井戸水を飲料水としていた。つまり、小田原の井戸水は塩辛く無かったのである。
以上、小田原用水は全国放送で流すにはリスクの大きい題材であった。
私は出演を果たせなかったが、タモリさんの口から「小田原は江戸どころか全国の城下町の原点」と聞けた事が唯一の救いだった。何故ならば、これは私が番組を通じて伝えたかった事だからである。小田原合戦に参陣した各武将は小田原城を模範として自身の居城に総構を築いた。そして現在に至るまでその城下町は主要都市として栄え、日本の経済成長を支えたのだ。
一方、小田原は江戸時代に総構の範囲を小田原府内、外は府外として区別した。明治以降の小田原町の範囲も総構が基準になっている。更に、その境界の意識が現在の小田原の人々にも残されている。つまり「小田原のルーツは総構にあり」なのだ。総構は北条氏が残してくれた大切な財産である。郷土の誇りとして保存活用しなければならない。
現小田原城天守最上階に木造の空間現る

平成25年26年度の神奈川大学名誉教授の西和夫先生による調査で三基ある天守模型のうち東博模型から最上階の内部空間が判りました。今回の小田原城天守閣、平成の大修復で最上部に摩利支天空間の再現が行われました。再現工事には小田原の材で小田原の職人が全て関わり成し遂げました。
そして4月9日には摩利支天像の魂入れの儀式が連上院の浜武住職により執り行われました。加藤市長をはじめ、設計を行った高橋さん、小笠原さん、材木を提供した辻村山林の辻村さん、森林組合の小泉さん、お城をつくる会から理事長代理で古川が、材木の製材を行った大山さん、運搬を行った木材協同組合の秋山さん、林青会さん、鳶の和田さん、大工のおだわら工匠会の皆さんら大勢の関係者が集まりました。

無事に摩利支天像に魂が入り、小田原城と小田原のまちの発展を見守ってくれることでしょう。今回の事業は、「みんなでお城をつくる会」が関わった第30回『全国削ろう会』がこのようにオール小田原で再現できる運びとなった原動力となっています。そして、2013年11月30日に削ろう会小田原大会のプレイベントとして『天守の森伐採見学会』を開催、その時に切った200年の杉が今回使われています。当会が寄贈した木材は将軍柱の右側、階段を登ったすぐ角の所に据えられています。また、建具の羽目板にも使われています。
皆様にも、天守最上階で是非とも木造のすばらしさを味わっていただきたいです。
