3基の模型の調査研究の進捗
3基の模型の調査研究の進捗
「東大模型」の調査研究と「引図(模写図)」の調査研究に基づく2本の論文が日本建築学会の査読を通り、2024年の2月から4月にかけてその学術誌に掲載された。
●「東大模型」論文全文は、以下のURLから。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijt/29/71/29_471/_pdf
●「引図」論文全文は、以下のURLから。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/88/806/88_1388/_pdf/-char/ja
東大模型;長大な通柱と「互入式通柱構法」との併用が最大の特徴

小田原城天守に関する論文は多々あるが、今回の調査では、新しい発見があった。まず番付という柱位置などを示す記号に廻り番付使われていることに着目し、そこから小田原城天守の「軸組架構の特徴を知る大きな様相であることがわかった。簡潔に言えば1階から3階までの通し柱が中央部分の空間に9本あって、その他に1階から2階、2階から3階までの通し柱が相互に配置されているということが「廻り番付」から分かった。このような技法(「互入式通柱構法」とも呼ばれる)は現存天守では松江城にもみられるようだが、東大模型には通柱の使用法にこれまでに知られていなかった新しい技法が見られる。この模型がいつ出来たものか確認することはできなかったが、再建または新築用に制作されたものではないかと、かなりの確信をもってよいだろう。

番付という柱位置などを示す符号に「廻り番付」が使われていることに着目し、そこから小田原城天守の軸組架構の特徴を知る大きな要素であることがわかった。1階から3階までの通し柱が中央部分の空間に9本あって、その他に1階から2階、2階から3階までの通し柱が相互に配置されているということが「廻り番付」から分かった。
引図においては、小田原天守の建地割図にみる制作目的と構造技法について、これまでほとんど注目されてこなかった点が描かれている。気になるのは、この建地割図の目的は何かということだが、「まとめ」ではこれは設計図ではなく実測図であると結論付けている。現在の天守の設計を手がけた藤岡氏は「詳細図」の制作目的を再建のための設計図としていると述べているが、はっきりと実測図だと言い切っている。惜しむらくは制作年代を明確にできないことであるが、以上のような新しい知見に言及している点は特筆すべきことだ。

柱脚に木材を運ぶ際に開けたと思われる筏穴(いかだあな)が描かれている。これは運搬に伴って開けた穴であり、設計図に描く必要はない。したがって、この図が設計図ではなく実測図であると考えられる所以のひとつである。

母屋の木口の形がすべて異なることは、設計段階で想定されるものではなく、施工段階で生じたはずである。したがって、設計図にはじめから描かれるはずがなく、このことは設計図ではなく実測図であることを想定させる。
令和7年(2025)2月中旬、神奈川県立歴史博物館において、小田原市職員臨席の下、「東博模型」(東京国立博物館所蔵)の実測調査を行った。本調査に際して判明した内容の一部をまとめれば凡そ以下の通りであるが、詳細は今後の検証を俟ちたい。
・近代から現代にかけて、複数回に渡り修理されたような痕跡がある。
・東面にも張出しが付けられていた可能性があり、土台や梁に枘穴などが残る。
・外観意匠の表現は稚拙だが、内部の架構(構造)は作り込んだ印象を受ける。
・初重から3重の東面のみ、野垂木が現しとなって屋根は張られていない。
・2重から3重にかけて、階段の踊場と思われる作りがある。
・初重と2重には天井を表現したような作りがある。
・摩利支天像安置空間にも修理の痕跡があり、将軍柱西側の柱は後補材か?
「東博模型」については、「摩利支天像安置空間」の存在に焦点が当てられがちだったが、その全体をみれば上記のような特徴が垣間見られる。特に、既知の史料や他の天守模型において、これまでに判明していなかった階段の踊場と推定される構造があることは、新たな知見に繋がる可能性がある。また、天井を想起させるような作りがみえることも本模型の特徴のひとつであろう。加えて、「小田原城三重天守引図」(1/20)にみられた表現と類似する作りも随所に確認でき、各重・各階の高さ、大棟までの総高さも近似しているようである。
