小田原城天守事始め ~木造天守への道~
第10回 小田原城天守と現存天守との比較②
間遠くなってしまいましたが、今回は前回ご紹介しました松江城天守に使用された指物の中でも、非常に特徴的な例を取りあげたいと思います。まだ仮説に過ぎませんが、著者は小田原城天守にもそのような指物が使用された蓋然性は高いと考えています。
松江城天守に使用された「扱(こ)き梁」
松江城天守には独自の通し柱の構成があることを前回ご紹介しましたが、それらを繋ぐ指物の中で、著者が「扱き梁」と呼ぶ部材があります。下の写真で白い丸で囲った箇所ですが、通常の指物と成(高さ)は同じで幅が薄い部材です。左側の写真、その「扱き梁」の下段で柱にささる部材は「貫(ぬき)」ですが、貫よりも幅が広く、また床を支える構造材でもあります。
修理工事報告書にもこの部分の写真や図面がありましたが、残念ながらこの部材についての詳しい記述はなく、どのような理由で(部分的に)使用されたのかはっきりとはわかりません。おそらく構造的な理由というより、柱の断面欠損の軽減や材料の節約、または柱と指物を組み立てる際の施工性に関わる理由ではないかと考えています。
いまのところ現存天守でこのような「扱き梁」を使用した例を確認できていませんが、近世民家の一部には使用例があります。また「小田原城三重天守引図」にも「扱き梁」ではないだろうかと思われる表現がありますので、追ってご紹介したいと思います。
次回は、小田原城天守と建造年代が近い「宇和島城天守」をご紹介したいと思います。お楽しみに。
追記)
2月11日の創立7周年記念研究報告会にご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
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