小田原城天守事始め ~木造天守への道~
第11回 小田原城天守と現存天守との比較③
今回は、宝永度小田原城天守(宝永3/1706年)と建造年代の近い、宇和島城天守(寛文5/1665年)をご紹介したいと思います。小田原城天守より規模はグッと小さいのですが、松江城天守と同じように①通し柱②指物の使い方の違い③土台の有無を見て戴きたいと思います。
小田原城天守と建造年代の近い「宇和島城天守」
宇和島城天守は小田原城天守と同じ層塔型で、規模は3重3階です。入口は唐破風を持った玄関が付いており、平和な時代の天守の様子が伺えます。また内部は木組みや材料の仕上げ方など、とても洗練されているなという印象でした。ちなみに宇和島城天守にも天守雛形(模型)が残存しています。
「宇和島城天守」(写真:著者撮影)
各階とも正方形の平面で、上階にいくに従って少しずつ小さくなっており、小規模ですが層塔型の方式がよくわかる事例です。1階から2階の身舎に①通し柱が使用されています。②指物は2階の床を支える梁間方向の大梁や、身舎と入側を繋ぐ梁などに使用されています。③土台は柱が建つ位置に格子状に配されています。
特に通し柱と指物による構成をみると、通し柱は初重、2重目の側柱(一番外側の柱)から指物によって直接繋がれていることがわかります。また、通し柱の頂部に架かる梁は3階の床梁で、かつ3重目の側柱が載っていますので、この通し柱に架かる鉛直荷重は非常に大きいことがわかります。
次回は、もうひとつ小田原城天守と建造年代が近い「高松城二ノ丸月見櫓」をご紹介したいと思います。お楽しみに。
図版出典:『重要文化財宇和島城天守修理工事報告書』
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