小田原城天守事始め ~木造天守への道~
第12回 小田原城天守と現存天守との比較④
今回は天守ではありませんが、宇和島城天守と同じく宝永度小田原城天守(宝永3/1706年)と建造年代の近い、高松城二ノ丸月見櫓(延宝4/1676年)をご紹介したいと思います。前回と同じように①通し柱②指物の使い方の違い③土台の有無を見て戴きたいと思います。
小田原城天守と建造年代の近い「高松城二ノ丸月見櫓」(以下、高松城月見櫓)
高松城月見櫓も同様に層塔型の3重3階です。小規模ですが各重の軒の出が比較的深く、長押が黒漆喰で仕上げられるなど外観意匠は洗練されています。しかし内部はこれまでの天守と比べて少々窮屈で荒々しい印象です。
「高松城二ノ丸月見櫓」(写真:著者撮影)
宇和島城天守と同じく、各階とも正方形の平面がそのまま逓減している層塔型の方式です。特徴的なのは1階から3階までを貫く4本の①通し柱が使用されていることです。②指物は身舎外周部の床梁と通し柱とを繋ぐ床梁とに使用されています。③土台はこれまでの天守のように柱が建つ位置に格子状に配されています。
柱と指物の構成をみると、3重の側柱と初重、2重目の身舎柱(管柱)は上下で揃っており、初重と2重目の身舎柱はその側柱から指物によって直接繋がれています。つまり4本の通し柱には2重目屋根以下の鉛直荷重がかからないような構成になっています。これは第7回でご紹介した、小田原城天守の身舎柱(通し柱)へかかる荷重を低減しているのと同じような方法だと言えます。
次回は、これまでにご紹介してきた3つの類例の特徴を纏めて、改めて小田原城天守との比較をしてみたいと思います。お楽しみに。
図版出典:『重要文化財高松城二ノ丸修理工事報告書』
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