小田原城の天守を木造で復原することに取り組んでいます。(H)

小田原城天守事始め ~木造天守への道~


第13回 小田原城天守と現存天守との比較⑤

第9回から前回までにみてきました小田原城天守と規模や建造年代の近い現存天守等(松江城天守、宇和島城天守、高松城二ノ丸月見櫓)について、その特徴を纏めてみたいと思います。特に通し柱と指物の構成ついてはそれぞれの例で違う性格を持っていたかと思います。

通し柱と指物

松江城天守は2階分の通し柱が1階分ずつ相互にずれて配置され、宇和島城天守は3階床を支持する通し柱が、高松城月見櫓は中央部に1階から3階を貫いて通し柱が使用されていました。軸部全体に亘るものから主に床を支えることに重点を置いたものまで様々です。

各類例の「通し柱」


指物については、松江城天守は桁行・梁間2段の床梁が柱に指し付いて床を支持すると共に軸部を固め、宇和島城天守は通し柱に対して床梁や繋ぎ梁などの各指物が集中し、高松城月見櫓では身舎柱同士を固める又は入側と通し柱同士を固める指物も見受けられました。

各類例の「指物」

事例によって様々な役割を担う通し柱と指物ですが、「複数の床を支えて非常に重い外壁や屋根の荷重を支持している」という点に着目すると、各類例がそれぞれの工夫を凝らしていることがわかります。もちろん、架構全体を総合的に考える必要はありますが、大きな構造的要素としての通し柱と指物による構成は、一定程度有効であったと言えるでしょう。

次回はこれらを踏まえた上で、宝永度小田原城天守との具体的な比較をざっくりと纏めたいと思います。次々回は番外編として、姫路城を取りあげます。お楽しみに。

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