小田原城天守事始め ~木造天守への道~
第14回 小田原城天守と現存天守との比較⑥-まとめ-
今回は類例天守等との比較のまとめとして、その構造的な特徴をおさらいしたいと思います。天守の型(望楼型・層塔型)を問わず、“階を積み重ねていく”という城郭建築に独特の工夫がある中で、小田原城天守の特異性を改めて掴んで戴ければと思います。
柱と指物-軸部を固め、上部荷重を支持する-
小田原城天守は、中央の心柱が小屋組まで延び、身舎柱も通し柱となり4階床までを支えていました。指物は特に3階床を重点的に固め、身舎柱は側柱と繋がれているものの、初重は入側管柱を介して直接は繋がれず、鉛直荷重を低減・分散するような構成になっていました。
松江城、宇和島城、高松城の各天守・櫓の柱と指物も、軸部を固めつつ上部荷重を支えていることは共通しますが、事例ごとにその役割は少しずつ異なりました。また、型や規模、内部の機能性による違いもみられますが、大雑把に言えばどの事例も身舎は1間(6.5尺)ごとに柱(特に通し柱)が建ち、入側がそれを繋ぐという構成を持っています。
小田原城天守の内部空間がどのように使用されたかは今のところわかりませんが、身舎は桁行6間梁間4間で、心柱を除く8本の通し柱しか建っていませんし、土台もありません(第8回参照)。そのため軸部を固めて床を支える指物に相応の工夫がみられます。入側管柱による構成を含め、小田原城天守の構造にとって最も特徴的な点だと著者は考えます。
次回は番外編として、小田原城天守のように長大な通し柱を使用した姫路天守について、その構造的な特徴をご紹介したいと思います。お楽しみに。
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