小田原城天守事始め ~木造天守への道~
第2回 天守の「型」について
前回は、本コラムの目的と現在の小田原城天守の復元について簡単におさらいをしてみました。今回からは天守の歴史的な成り立ちと現存する木造天守の構造的な特徴をみながら、宝永年間に再建された小田原城天守の実態に少しずつ迫っていきたいと思います。
「望楼型」と「層塔型」
天守の「型」は構造方式とも呼ばれ、歴史的な変遷を研究する上でも重要な考え方なのですが、通常は大きく二つに区別されます。ひとつは「望楼型」とよばれる方式で、2階建てほどの建物の上にそれよりもひと廻り小さい建物をのせた、みなさんご存知の金閣のような構成です。天正年間に信長が建てた「安土城」をモデルに全国に広まったとされる方式です。
「層塔型」とは、五重塔のように同じ平面(屋根)のかたちを上に行くに従って少しずつ小さくしながら積み上げていく方式です。ただし天守の場合には各階に床がありますので、柱と梁による木組みにはそれなりの工夫が必要です。学術的には「望楼型」から「層塔型」へ発展していく過程で柱の建つ位置など構造的な要素が整理されていったと言われています。
では、小田原城天守はどちらの「型」でしょうか…?前回のコラムの外観写真をよ~くご覧ください。正解は「層塔型」です。天守の本丸広場側に出っ張りがついていたり、登城出入口のある建物が付属していますが、シンプルにみると長方形の平面を少しずつ小さくしながら三つ重ねた構成です。小田原城天守は“層塔型の三重天守”ということができます。
次回はもう少し詳しく、天守の「型」と実在した天守の規模についてご紹介していきたいと思います。お楽しみに。
写真出典:『日本建築様式史』美術出版社
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