小田原城天守事始め ~木造天守への道~
第3回 天守の「型」についてPart.2
前回は、「望楼型」と「層塔型」という天守の「型」の区別についてご説明しました。今回 はその「型」の変化・発展について、これまで建てられた天守を例にもう少し詳しくご紹介 していきたいと思います。
「型」の変遷と大規模化
下の図は、建築史家の故・内藤昌博士が作成された天守の「型」と規模についての変遷図で す。内藤博士は、前回少し触れました安土城の復元考察にも尽力された方ですが、「望楼型」 から「層塔型」へ移行していく過程で、外観の形も変化しその規模も大きくなっていったことがわかります。 姫路城天守以外は失われていますが、江戸城天守は特別に大きかったのですね...
この図の上半分をご覧ください。安土城から江戸城へと時代が下るにつれて、天守の内部に 建つ柱の位置が上下階で何となく整理されていくのがおわかりになるでしょうか?大きな 傾向としては「望楼型」から「層塔型」へ移行するに従って、姫路城天守の東西の大柱のよ うに、数階分を貫く長くて太い「通し柱」は使用されなくなったとされています。
宝永年間に再建された小田原城天守は「層塔型の三重天守」だったと前回ご紹介しましたが、 現存天守と比較するとその大きさは...ということで作成したものが上の図です。さすがに 江戸城天守には及びませんが、屋根の重なり方と階数からするとだいぶ大きかったことが わかります。ちなみに初期の「層塔型」の代表である松本城天守よりも大きいのです。
次回はいよいよ小田原城天守について、既存の資料などをご紹介しながらご説明していき たいと思います。お楽しみに。
図版出典:
『復元日本大観I 城と館』世界文化社
『国宝姫路城大天守修理工事報告書』
『重要文化財松江城天守修理工事報告書』
『小田原城天守模型等調査研究報告書』
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