小田原城天守事始め ~木造天守への道~
第5回 宝永度再建の小田原城天守の史料について②
今回は『小田原城天守模型等調査研究報告書』などをもとに各史料についてご紹介するとお伝えしていましたが、現存史料の概要についてもう少し補足します。おおまかなアウトラインを把握戴くことで、今後の理解を深めて戴ければと思っています。
「東大模型」と明治3年(1870)天守解体時の写真
現在の天守閣最上階に展示されている「東大模型」は、『小田原城天守模型等調査研究報告書』(以下、『報告書』と略します。)によれば、最後の木造天守との関係は希薄で「別の文脈」で作られたものだとされています。しかし、藤岡博士が昭和35年(1960)再建の復元設計の際に参考にされたことは明確な事実であり、今後も再検証が必要です。
東大模型
藤岡博士が「東大模型」を参考にされた理由のひとつとして、明治3年に天守が解体された際の写真が根拠となっています。不鮮明ではありますが、現在の本丸広場からかなり目線の高いアングルで撮影されたものです。赤く囲った箇所、1階端部の柱の配置の仕方と「張り出し」部分の柱の数が「東大模型」に類似しているのです。
解体時写真
以上、前回を含めた天守のみに関する現存史料(文献除く)のアウトラインを纏めますと…
〇 3基の天守雛形が現存する。(「大久保神社模型」「東大模型」「東博模型」)
〇「小田原城三重天守引図」という図面の、藤岡博士による複写がある。(原図は不明)
〇 明治解体時の写真が残る。
という内容です。今後も参照するかと思います、ご記憶に留めて戴ければ幸いです。
次回からは、『報告書』の調査結果などをもとに、これまで挙げました史料についてさらに詳しくご紹介していきたいと思います。お楽しみに。
東大模型」写真:『小田原城天守模型等調査研究報告書』
天守解体時の写真: 小田原城天守閣提供
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