小田原城の天守を木造で復原することに取り組んでいます。(H)

小田原城天守事始め ~木造天守への道~


第6回 模型と引図にみる軸部*構造の特徴①

第4、5回で、文献を除く天守に関する現存史料のアウトラインを見てきました。今回からは『報告書』を参照しつつ、著者の修士論文「宝永度小田原城天守の軸組架構方法の研究」から天守の軸部構造の特徴をかいつまんでご紹介していきたいと思います。

「東博模型」の軸部について

神奈川大学名誉教授の故・西和夫先生を中心としてまとめられた『報告書』は、「東博模型」を「確実に存在した天守」として位置付けています。再検証は必要ですが、まずはその指摘に従って「東博模型」の軸部を見ていきましょう。下図は『報告書』記載の図面を著者が加工したもので、オレンジと青で2種類の「通柱」を区別しています。

「東博模型」写真・平面図

「東博模型」断面図

オレンジの柱は、中央の心柱と「身舎(もや)」と呼ばれる主要な内部空間を囲う通柱です。 青の柱は3階まで延びる通柱ですが、「入側(いりがわ)」と呼ばれる武者走りを含む空間を構成し、特に小田原城天守では特徴的な柱であるため、修論では「入側管柱」と呼び区別しています。「管柱(くだばしら)」とは、「1層」部分のみに建つ柱のことですが、今回は「1重目」までの柱という意味で「管柱」としました。

天守は必ずしも通柱を使用するとは限りません。彦根城天守のように管柱だけで造られた事例もあります。なぜ小田原城天守が数種類の通柱を使って計画されたのかはまだ明確にできませんが、どのような内部空間であったのか、どのようにすれば早く丈夫な天守が造れるのか、といった「計画」と「施工」両方の要素が考えられます。

次回からは、ひとまずどのような構造であったのか、その可能性を模型と引図(第4回参照)をもとに探っていきたいと思います。お楽しみに。

*軸部…ここでは、柱や梁、桁などの主要な構造部材をさします。

写真・図版はすべて『小田原城天守模型等調査研究報告書』より
※個々の写真・図版のSNS等への転載はご遠慮ください。


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