小田原城の天守を木造で復原することに取り組んでいます。(H)

小田原城天守事始め ~木造天守への道~


第7回 模型と引図にみる軸部構造の特徴②

前回は『報告書』記載の「東博模型」の調査図面から、軸部の特徴、特に「通柱」の配置についてご紹介しました。今回は引図から同じように柱に着目してその特徴を見ていくとともに、「入側管柱」の構造的な役割を探っていきたいと思います。

引図(「小田原城三重天守引図」と模型の比較 ~柱の配置~

『報告書』により、引図と「東博模型」「大久保神社模型」の類似が指摘されていますが、特に著者が「入側管柱」と呼ぶ、武者走内側の柱位置が両模型にも同じように表現されていることが報告されており、天守の大きな特徴であることがうかがえます。「入側管柱」の位置に加え、通柱の足元は「礎石」、入側管柱の足元は「土台」で共通していることもわかります。

引図と「東博模型」

註:引図と「東博模型」は同じ縮尺(1/20)で制作されていますが、大きさが全く同じわけではありません。


「入側管柱」の構造的な役割は、下図のように鉛直荷重*を分散するためではないかと考えています。赤い矢印に注目すると、特に二重目から下の荷重の多くを「入側管柱」と外周部の側柱で受けていることがわかります。つまり、上図で示したオレンジの身舎柱(もやばしら)へ掛かる荷重を相対的に低減していると言えます。

鉛直荷重の模式図

鉛直荷重の模式図


通柱を使用した現存天守にはこのような架構は見当たらず(一部、櫓には類例があります)、この場合の身舎柱に相当する通柱に荷重が集中するような工法を採っています。また柱の足元を「礎石」と「土台」とで区別する工法もこれまでのところ事例が見られません。その理由について明確な解答は出せていませんが、後々著者の考えをご紹介するつもりです。

次回も引き続き天守がどのような構造であったのかを、特に梁や「指物(さしもの)」と呼ばれる横架材に着目してご紹介していきたいと思います。お楽しみに。

*鉛直荷重…垂直方向に作用する荷重のことで、屋根や外壁、柱や床など建物自体の荷重(固定荷重)と、人や荷物などを載せた時の荷重(積載荷重)などがあります。

「小田原城三重天守引図」を除く図版はすべて『小田原城天守模型等調査研究報告書』より
※個々の写真・図版のSNS等への転載はご遠慮ください。


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